大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)661号 判決

上告人

和光彌

右訴訟代理人

橋本紀徳

外二名

被上告人

遠山田鶴子

被上告人

和光勝

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人橋本紀徳、同福島等、同西嶋勝彦の上告理由第一点及び第二点について

養子縁組届は法定の届出によつて効力を生ずるものであり、養子とする意図で他人の子を嫡出子として出生届をしても、右出生届をもつて養子縁組届とみなし有効に養子縁組が成立したものとすることができないことは当裁判所の判例とするところであり(昭和二四年(オ)第九七号同二五年一二月二八日第二小法廷判決・民集四巻一三号七〇一頁、昭和四九年(ネ)第八六一号同五〇年四月八日第三小法廷判決・民集二九巻四号四〇一頁)、これと同旨の原審の判断は正当であつて、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原判決を正解せず独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第三点について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人らの本件請求が権利の濫用であるとはいえないとした原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

なお、原審は、本件訴のうち母子関係不存在確認を求める訴につき確認の利益を否定する前提として、嫡出親子関係不存在確認の訴においては父子関係と母子関係の各不存在を合一にのみ確定する必要はないものとしているが、右の原審の判断は相当であり、以上の見解と異なる大審院判例(昭和四年(オ)第五九七号同年九月二五日判決・民集八巻一一号七六三頁、昭和一九年(オ)第三三六号同年六月二八日判決・民集二三巻一五号四〇一頁)は変更されるべきである。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(伊藤正己 環昌一 横井大三 寺田治郎)

上告代理人橋本紀徳、同福島等、同西嶋勝彦の上告理由

第一点 民事訴訟法第三九五条一項六号の事由

原判決は、上告人の主張(54・3・5、54・4・11、54・12・12付各準備書面)に対し何ら判断せず、且つ理由を付さずに控訴を棄却した違法がある。

すなわち、上告人は、第二点に主張するごとく、上告人を嫡出子とする亡和光清治の届出は、養子縁組の効力を付与すべきであり、一審判決の理由が全く不合理であることを詳細に原審において主張した。

しかるに原判決は、養子縁組が要式行為であるとし、最高裁50.4.8第三小判決民集二九―四―四〇一頁を引用するのみで、実質的理由はおろか、上告人の前記主張に対する個々の判断さえ示さない。

そもそも最高裁判決の拘束力は、当該事件に関する限りのものであつて(裁判所法第四条)、他事件に及ばないことは自明である。したがつて、本件特有の事実関係のもとにおいて、当事者の各主張に対する個別判断は不可避なのである。

原判決の態度は、事案を異にする最高裁判決を金科玉条とし、自らに託された裁判の責務を放棄するものであつて、民訴三九五条一項六号に該当するから破棄を免れない。

第二点 本件出生届が養子縁組届として有効であること

(1) 上告人弥を実子として届出た亡清治及び上告トシの目的は、後妻たるトシに子がなく、弥を養子として育てるためであつた。

したがつて、縁組の実体的意思があつた。

しかも、現実にその後三〇有余年清治夫婦は、生活を共にして弥を子として養育してきた。

そこで、問題は届出の形式が異なるという点をいかにみるかにつきる。

(2) 一審判決があげる養子縁組届とみなしえない論拠は、結局のところ、戸籍の正確性、身分関係の混乱回避ということになろう。

しかしながら、たとえば離縁の可否は、戸籍上実親子関係のままでは可否を論ずるまでもないのであるから、離縁を希望する当事者は、まず判決によつて、養親子関係であることの確定を経て戸籍訂正をなし(実親子関係→養親子関係)、次で協議又は裁判上の離縁手続をなせばよい。

また婚姻禁止の有無等も、本来取消事由にすぎないのであるから(民法七三四条〜七三六条)、誤つて実方親族と婚姻しても後日取消うればよく、裁判によりそれは可能であり(同七四四条)、養方親族と婚姻するのに虚偽の届出が障害となるのであれば、前同様判決を経て戸籍訂正をしたあと実現しうるのであるから、とりたてるほどの不都合ではない。

さらに、実父母などとの親族関係も、その関係を明らかにしたいと欲すれば(相続など)、前同様可能であり、当事者がそれを欲しないのに第三者があばく必要もないであろう。

このようにみてくると、一旦なされた戸籍の記載を絶対視し、その真実への訂正を許さないところにこそ問題が存するのであつて、実体的養親子関係を認め、これを戸籍に反映させれば足りるのである。原判決などの消極論は、まさに本末転倒の理論というべきである。

(3) なお、未成年の子の養子縁組の要件である、①実親の代諾、②家庭裁判所の許可、も検討しておく。

①については、本件では生み落した母親の承諾はあつた(甲二号証、清水キヨ調書)。仮りにそれが明確でないとしても、現在弥が三七才にも達した段階では、子のための要件である代諾の欠如は、不問に付して少しも差支えない。

②の許可手続の不履行も、本来取消事由なのであるから(民法七九八条、八〇七条)、単に取消しうべき養子縁組であつたと考えればよく、そのことを主張しえなくなつた現在、家庭裁判所の許可の不存在をもつて、本件を養子縁組届とみなす障害とするのはおかしい。

(4) いずれにしても、届出形式の違背につき上告人弥には、責めらるべき点は何もない。

三〇数年に及ぶ公簿上の表示とそれに対応する社会的事実を一挙に否定するのは、条理に反するというべきである。

(5) 最高裁は、虚偽の代諾権者による養了縁組届を子が追認すれば有効とし、妻以外の女との間の子を妻との嫡出子として届出た事案につき、認知の効力を認める。いずれも、当事者の真実の意思を後日確認し、要式違背の無効な届出を有効な届出に転換せしめるわけである。これらと本件との間に、法的保護の手をさしのべるべき点において実質的差違はない。しかるに、両者の取扱の差は不合理の一語につきる。これほどの御都合主義・論理矛盾はない。の代諾縁組の場合、の嫡出届の場合、戸籍の信頼は確保されているとでもいうのであろうか。

本件に関する最高裁の判例は、当然ながら学界こぞつての批判をうけており(例我妻「親族法」二八一頁注(二))、早晩変更される運命にあるというべきである。

第三点 被上告人らの本訴請求が権利濫用であること。

原判決が上告人の主張を排斥する論旨は不明確である。

三〇数年後、相続のためにその身分関係をあばく被上告人らのために、上告人らは、はかりしれない精神的苦痛を受けている。

また、被上告人らは、この間実の弟として弥を遇し、弥もまた実の兄姉として被上告人らに接してきたのであつて(乙一〜四)その信頼と期待を裏切られた怒りは筆舌につくしがたい。

のみならず、被上告人らは、清治死亡後、弥をも加えて一旦遺産分割の協議を整え、その旨の登記手続をなす寸前までこぎつけていたのである(トシ尋問結果)。それなのに、改めて遺産分割の調停を提起し、自分たちの意のままにならないとして、本件提訴(当初不適法な提訴を新潟地裁新発田支部に行い(同庁昭和五〇年(タ)第二号)、これを取下げて本件訴に切替えた)に踏み切つたのである。

このような態度は、明らかに亡清治の意思に反するといわねばならない。

原判決は、被上告人らの請求を斥けることは、「真実に合致した戸籍訂正をし、かつ真実の身分関係を明らかにする身分法上の権利の放棄を強いることになるから、到底許されない」とする。

しかしながら、被上告人らには、右権利行使の方途は亡清治の生前にも充分与えられていた。

亡清治としては、上告人を子とする意思即ち養子縁組の意思を有していたのであり、仮りに被上告人らが上告人の届出の不適式を問題とし、両者の親子関係を争つたならば、ただちに養子縁組の届出に訂正したはずである。亡清治がかかる対抗手段をとり得なくなつたその死亡後に、同人の相続財産の分配をめぐつて上告人を排斥するため提起されたのが本訴なのであつて、かかる請求こそ許されないというべきである。

本件の如く真実に合致しない親からの出生届を、利害関係人から訂正を求める手段は、届出人たる親の生存中に与えておけば足り、同人死亡後はもはや争えないことにしても決して不合理ではない。

かかる解決こそ身分法を支配する実質的意思と要式法の両者を調整する最も妥当なものというべきである。

よつて原判決は破棄を免れない。

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